FiIwE;kino

今まで観た映画について(自分用)

マイインターン(The Intern)

マイインターン(原題:The Intern) 公開は2015年

 

ロバートデニーロとアンハサウェイの共演。

アンハサウェイというとプラダを着た悪魔がすぐに思い出される。

それで今回はファッションサイトを運営する会社の社長というのだからますますそういう映画を連想させた。そんな彼女の会社にシニアインターン制度で採用された70歳の老人ロバートデニーロがやってくる。

若い社員ばかりの職場は全員揃いのmacを持ち、入れたグラフィックソフトでデザインし何でもかんでもメールでやり取りSkypeで会議、インスタやFacebookを使って巧みに宣伝して"いいね"を稼いだらリアルタイムで天井の鐘を鳴らしお知らせ、社員の誕生日は上下関係なくみんなで祝ってハッピーを共有・・・とイマドキすぎる社風のため、早速おじいちゃんなロバートデニーロは浮いた存在となる。が、ここからジェネレ特有の様々なすれ違いやぶつかりかいがあるのかと思いきや、老害とは無縁のロバートデニーロおじいちゃんがあまりにいい人すぎるため、すっかり馴染んで社員と仲良く雑談どころか人生の悩み相談所みたいな頼れる存在となっているではないか。

しかも、なんでも聞ける人生の先輩、ただのいい人で完璧人間なのではない。女性マッサージ師にマッサージされたら仕事中にも関わらず思わず勃っちゃった、とか、休日そのマッサージ師に勢いで電話してディナーのお誘いを申し込んじゃった、とかなんとも人間臭いおちゃめな部分も出してくるからこれまた人々を惹きつけてやまないのである。

そんな彼と、社長であるアンハサウェイとの関係性がだんだん深まっていくにつれ物語も展開していくが・・・

正直脚本で今ひとつだったなあと思ってしまうのが、お母さんのメールを削除しにオーシャンズよろしく母宅へ侵入するっていう流れ、他に何か二人の関係をもっと掘り下げたりだとか社内で起きたトラブルをどうにかするみたいなストーリー展開はなかったものかと少しだけ思った。面白かったんだけど。終始笑って過ごせる面白い映画であったのは間違いない、でももう少し二人や会社のことを掘り下げて欲しかったなあなんて。脚本があちらこちらに散らかってる感は見終わってからもまあまあ感じてしまったー。。

触れずにいても別にいいんだけど、近年のアメリカ映画に多いファイナルガールな現象をこの映画にも感じてしまうし、それはアンハサウェイに男性が自己投影したいのか、男性に対して最近の子はどうしようもないわねもっと紳士にならなきゃ。というメッセージなのか・・・(映画でアンハサウェイが社員にそんなこと云ってなかった?)

なんかところどころでそんな印象を抱いてしまった・・・。気の迷いでうっかり浮気しちゃう専業主夫とか、ハンカチを持たない冴えない男性社員とかさ。。。監督がどんな思いで撮ったのかはわかりもしないが、男性がこの映画を見たらどういう印象を持つのかなあとふと思った次第。性差なくみんなが平等で(それこそLGBTも何もかも)いられる会社、社会、それが時代にあった生き方でそうなるべきなんだって日本より先をいくアメリカはきっともっと自由な社会なんだろうと思う。でも男性にはあなたたち、このロバートデニーロおじいちゃんを見習って、紳士でいなさいよ。って云ってる、ようにも聞こえる・・・。それがいい、悪いはない。でもただただ、紳士は自分も含めみんなを幸せにするんだ。そんな年寄りになれたらいいんだけど。

 

いちいちこんなこと考えずに楽しんで観られる作品なのでこれはほんとに後からふと思ったことを書いてみただけ。

ファイナルガールについてはまだそこまで詳しく言及できるほどの知識を要してないため、そのうちちゃんと書きたいテーマ

 

レクイエムフォードリーム(Requiem for a Dream)

レクイエムフォードリーム (Requiem for a Dream)

 

原作は脚本を手がけたヒューバートセルビージュニアの小説『夢へのレクイエム』

(調べたらブルックリン最終出口を書いた人だった・映画もある)

監督はダーレンアロノフスキー。ブルックリン育ちのハーバード大卒。他作品ブラックスワンやレスラーなど、まだまだこれからたくさんの映画を撮るであろう比較的お若い監督。この作品は2000年の作品だからそれでも随分前か。

 

(レクイエム=鎮魂歌・安息を)

夢は幻の如しドラッグに蝕まれた精神と共に消えゆく定めなり・・・

みたいな感じ。一言で云うと、ドラッグによって転落する4人の人生を描いた映画。そう、でも単なるドラッグの啓蒙映画なんかではなく。

この映画は4人の人物を軸に展開していくが、自分としてはサラの物語がいちばん強烈で。サラは着飾ってテレビに出演してみんなから注目を浴びることを夢見ていたけど、この映画を観てる人にとって4人の中で圧倒的に注目浴びてるし強烈でなんなら光り輝いているよ。サラ以外は脇役なんだろうと思えるくらいに。

ただすり潰していくだけの日常に突然非日常が舞い降りてきて、甘い言葉で誘惑される。夢を与えられた気分になってそこに夢中になって我を忘れてしまう。精神を病んでいくきっかけは些細なことなんだと数々の映画から教えられたが、この映画もまたそんなささやかな老人を蝕むきっかけをささやかに描きながら、エスカレートしていくたびに映像はおぞましさを増す。テンポよく進むモンタージュと音楽、コミカルに描かれるドラッグを打つシーンはそのポップさから、ドラッグはとっても簡単でお手軽なものなんだと思わされてしまう。

4人の中でサラとハリーは親子関係なのだが、彼らの家族愛のようなものを描くシーンがストーリーの中であって、二人の会話にちょっと感情移入とかしちゃったり・・・がしかしそんなことは一切無かったかのように、それすら中盤以降はなんの関わりもなくただただ救いようのない終わりかたで無惨に終わっていく。4人にはなんらかの関係性があって、それぞれ家族であったり恋人であったり友達であったりしていたはずなんだけれども、そういった人間的な営みも根こそぎ破壊してしまうのだと物語るかのように、ひっそりと幕を閉じるのだ。

痛快なテンポのせいでおしゃれなジャンキー映画だこれ見てダウナーな気分になろうってな気持ちで見始めたら、凄まじいニューヨークジャンキーの闇をとことん見せつけられてただただ気分が滅入ってしまうかもしれない。

 

道(La Strada)

「道」(原題:La Strada)

フェリーニの代表作で54年の作品。そういえば七人の侍も同じ年だな。
この映画にはとても期待していて、一体いつ観ようかとついつい先延ばしにして、とうとう今になってしまった。

 

「ここの石ころだって、何かの役に立っている。役に立たないものなんてない」


ザンパノの芸はまるで自分自身の呪縛と解放という“願い”のようであり、それを見守るジェルソミーナはザンパノにとっての“マリア”のような存在だったのかと思う。数々の受難とその気持ちに耐え切れず、救いきれず、ひっそりとしんでいくことの悲しさが痛ましい。ブレッソンの「バルタザールどこへ行く」を思い出した。
そういった意味でジェルソミーナは決して愚者ではない

ただただ純粋なんだ。人は本来みんなそうだ